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東京地方裁判所 昭和33年(ワ)4802号 判決 1961年10月17日

原告 上坂圭子

被告 宮城交通株式会社

主文

1  被告は原告に対し金一、〇四五、二九五円を支払わねばならない。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は五分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

4  本判決は原告勝訴の部分に限り、原告において金一〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

一  当事者双方の申立及び主張は別紙要約書のとおりである。

二  証拠、

1  原告

甲第一ないし第一五号証(第一二号証は一ないし九)第一六号証の一ないし三九、第一七、一八号証を提出し、証人戸田晴男、同菅原盛、同藤田晃英、同加藤尚、同島田清次の各証言を援用し、乙号証の成立はいずれも不知と述べた。

2  被告

乙第一、二号証を提出し、証人菊地正、同加藤尚、同菊地富五郎の各証言を援用し、甲号証中、第一ないし第一二号証(枝番含む)の成立は不知その余の成立を全部認めると述べた。

理由

一、タクシー業を営む被告会社に自動車運転手として雇われていた訴外菊地正が原告主張の自動車をその主張の道路を青山から渋谷駅方面へ向つて運転し通称宮益坂の渋谷郵便局前の横断歩道上に同郵便局に向つてセンターライン近くで立ち止つていた原告の後方を通過したこと、そのときその場所で原告が負傷したことはいずれも当者間に争がない。

二、そして、成立に争のない甲第一五号証、同第一六号証の三ないし一〇、一六(本間五郎の供述部分)、一九ないし二一、二三、二四、二五、三四、三六、同第一七、一八号各号証、証人戸田勝男、同菅原盛、同藤田晃英、同加藤尚、同島田清次、同菊地正(後記措信しない部分を除く)の各証言とによれば、次の事実を認めることができる。

1、訴外菊地が自動車を運転して原告の背後を通過するのに際し自己の運転していた自動車の右側を原告に接触させてその場に転倒せしめ、因つて原告に対し頭蓋底骨折、右肩部上膊部及び右臀部打撲傷、右耳翼後部裂傷、鼓膜破裂兼続発性中耳炎等の瀕死の重傷を与え、七七日間の入院加療とこれに引続き六ケ月余の通院安静加療をして、やうやく外傷は治癒したけれども、事故後三年余を経た今日においても、頭痛、腰痛、坐骨神径痛の発作その他の後遺症状がある。

2、当時宮益坂の都電は青山方面から渋谷へ行く線が迂廻することになりそのレールが取り外されて都電レールは渋谷から青山方面一本となつたが、青山から渋谷に向つてレールの右側の車道が工事中のため渋谷から青山方面に行く自動車は渋谷郵便局前では都電の軌道を通過していた。原告は横断歩道上を歩いて来たところ渋谷駅から青山方面に向つて進行して来る数台の自動車があつたので、青山方面からくる自動車のないことを確かめた上都電軌道の手前センターラインの近くに停止して坂を上つてくる自動車の通過を待つていた。訴外菊地は乗客加藤尚を乗せて自動車を運転して来たが、宮益坂の上で交通信号に従つて一旦停止し、進行信号と同時に先発したので菊地の車の前には向つて左側に一台先行車があるのみで前方の見透しは十分であつた。折柄小雨が降つており既に暮れてはいたが、商店街の照明で道路上は物の見分は十分につきしかも原告は白つぽいオーバーを着ていたから、前方を十分注意していれば原告の姿は容易に認めることができたであろうのに菊地は約四米直前になつてはじめて原告の立ち止つている姿を発見して、あわててハンドルを左にまわして同人との衝突を避けようとしたが間に合わず、車体の右側を同人の後部に接触せしめたため原告ははね飛ばされて、その左側に横断しようとして停止していた訴外藤田晃英にぶつかり立つていた地点から渋谷に寄つたところに倒れた。菊地の車の乗客である加藤尚は同人が坐つていた辺りの車の右側に何かものの打つかつた衝撃を感じている。又菊地が車を止めた当時は菊地の車の右側を青山方面から渋谷へ走り去つた自動車はなかつた。

3、以上の事実によれば、本件事故は菊地が前方注視義務を怠つたため、横断歩道上の原告を発見することが遅れたことによつて発生したもので同人の過失によるものといわなければならない。

4、この認定に反する甲第一六号証の二、一八のうち「長島忠雄の証言記載部分」二八、三七、証人菊地正、同菊地富五郎の各証言の一部はいずれも前出各証拠に照らし措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

三、被告会社の賠償額

(1)  加療等に要した費用

証人戸田晴男、島田清次の証言、及び島田の証言により真正に成立したものと認められる甲第一ないし第一一号証、同第一二号証の一ないし九によれば、原告が右負傷の加療に要した医療費入院費等は昭和三三年六月九日までに別紙第一表のとおり(右合計が金二六八、一七五円となることは計数上明かである)であること、その内原告が本間病院に入院した際、被告会社がその保証金として金三万円を本間病院へ支払つており、これは前記治療費の内入金となつていること、原告が本間病院を退院するに際し、入院中世話になつた医師、看護婦等に金七、〇〇〇円をお礼として支払つていること、退院当日自動車代金一二〇円を支払つたことが認められる。その余の原告の父が北海道から上京して看護等に要した費用等については、これを肯認するに足りる証拠がない。

ところで入院患者が退院に際し、世話になつた医師や看護婦に謝意を表して金品を贈ることは通常行われる儀礼的風習であり原告のような重病患者として金七、〇〇〇円の謝礼金は決して不相当に多いものではないというべきである。従つて右謝礼金は本件事故により生じた損害というべきである。よつて右認定の医療費入院費から三万円を差引いたものと謝礼車代の合計金二四五、二九五円が原告の損害と認める。

(2)  慰藉料の額

成立に争のない甲第一四、一五号証、同第一六号証の一六(証人本間の証言部分)及び二〇、同第一八号証、証人島田清次の証言及び弁論の全趣旨によれば、原告は旧制高等女学校を卒業し昭和二九年一〇月まで凡そ一一年ばかり小学校の教師を北海道でしていたが、その後上京し、昭和三三年一月二八日より池袋の不燃住宅会社に勤務しはじめたばかりで、本件事故当時二九才の未婚の女性であつて、本件事故による負傷のため、当初全然意識不明の昏睡状態が約一週間続き、奇跡的に一命をとりとめ得て同年四月二七日本間病院を退院し、その後も通院加療を続け、一応治癒したけれども、三年余経た現在においても天候の影響や季節の変り目等に腰痛、坐骨神経痛の発作があり、上膊の運動には疼痛しびれを伴い又頭痛もあり、視力も減退し、聴覚も難聴になつているという後遺症状があつて、将来普通人として職業を持つことも又結婚することも危ぶまれる健康状態であること現在北海道の郷里で八〇才近い老父と共に生活しているが兄弟姉妹もなく、資産は父の有する不動産があるのみで、現金収入がないため本件事故によつて生じた支出に充てるため六〇万円以上の借財を負つて前途暗たんたる気持ですごしているこくとが認められる。これらの点に鑑みて、慰藉料は金八〇万円をもつて相当と認める。

四、よつて被告会社は原告に対し右認容すべき損害金及び慰藉料合計金一、〇四五、二九五円を賠償すべき義務があるから、原告の本訴請求はその支払を求める範囲において正当であるから認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 三渕嘉子 古関敏正 龍前三郎)

準備手続の結果の要約

第一、当事者双方の申立

(一) 原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金一、三一七、七四五円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求めた。

(二) 被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求めた。

第二、原告の主張

一、原告は昭和三三年二月一〇日午後六時一五分頃、東京都渋谷区上通り二丁目二七番地先渋谷郵便局前全車道巾員一五米の主幹道路を横断しようとして横断歩道上において、右郵便局前のピアノ楽器店より同郵便局に向つて歩行中追越禁止標識線より同郵便局側が工事中のため渋谷から原宿方面へ向つて進行する自動車を認めたのでその自動車の通過を待つべく、同標識線近くで歩行を一時停止していたところ、被告会社に自動車運転者として雇われていた訴外菊地正は被告会社所有の営業用乗用車五七年型ダツトサン(五き-四二七七号左ハンドル)を原宿方面から渋谷駅方面に向つて営業運転進行中、自己の運転する車体を原告及び訴外藤田晃に衝突せしめ、因つて原告は頭蓋底骨折右肩部上膊部及び右臀部打撲傷および右胸部右耳翼裂創を受け約三ケ月の入院加療と約一ケ年の安静加療を要する重傷を受けた。

二、右衝突傷害事故は訴外菊地正の過失によるものである。すなわち原告が右横断歩道上に停止したのは、右郵便局側道路が工事中であり、たまたま渋谷駅方面から原宿方面に向つて進行する自動車を現認したため、その自動車の通過を待つていたのであつて、訴外菊地正としては、その横断歩道を通過するに際し、横断歩道上に歩行者が居るときには最徐行もしくは一時停止し、その横断歩道を無事通過できるのを確認して進行すべきにかかわらず、この注意義務を怠りかつその横断歩道附近は追越禁止区域と指定されその標識のある場所であるから他の自動車を追越してはならないにもかゝわらず、減速することもなく、他の自動車を追越し、その道路中心線より進行右側に越えて進行したため、右横断歩道上に歩行停止中の原告に自己の運転する自動車の車体を衝突せしめたものである。

三、原告は右傷害事故により次のような損害を受けた。

(1)  加療等に要した費用

原告が負傷の加療等に要した医療費、入院費として昭和三三年六月一〇日までの分(別紙第一表の明細のとおり)は二六九、七八五円であり、その他原告の実父が北海道より上京して原告の看護に要した経費は別紙第二表のとおり金四七、九六〇円であつたから、合計三一七、七四五円となる。

(2)  精神的苦痛による損害

原告は昭和一八年三月北海道函館大谷高等女学校卒業し、翌一九年四月から二九年一〇月まで小学校の教師として勤務し、昭和三三年一月二八日より訴外不燃住宅会社に勤務していたものであり本件事故当時二九才の未婚女性であつて、本件事故による負傷のため現在においても、天候の影響や疲労に伴い頭蓋底骨折に基く脳神経症状の発作があり、聴覚も著しく減退し難聴となつているので結婚もおぼつかず、将来独立して働くことも不可能に近く、身体障害者として孤独な一生涯をすごさねばならないかも知れないことに考え及ぶと金銭では計り得ない苦痛を受けているが、その損害として金一〇〇万の慰藉料を請求する。

四、被告会社は、旅客運送を業とするタクシー会社であつて、訴外菊地正の使用者として原告に対し、右損害合計金一、三一七、七四五円を賠償する義務があるのでその支払を請求する。

第三、被告の主張

一、原告主張のとおりの日時場所において原告が負傷したこと被告会社の運転者として訴外菊地正を雇つていたこと原告主張のように同訴外人が自動車にて原告の近くを通過したことは認めるが、その他は争う。すなわち訴外菊地正の運転する自動車は時速三五粁よりも遅い三三ないし三四粁位で、路面高速度区分線内を進行方面左側によつて走行しており、本件事故現場に至る手前の停止信号箇所で停車し、進行信号緑になつたので再出発して以来多数の自動車の最先端を運転進行していたので、前方確認も出来たし、他の自動車を追越す必要もなかつたので原告外一名を前方約二〇~三〇米に確認したため、減速しながら原告等の後方七〇糎位を無事通過したのであるが、通過した途端訴外菊地の運転していた自動車の後部右側で衝突したような鈍音が聞えたので、訴外菊地正としては単に反射的に急停車し、後方一二~一三米位の処に原告が転倒していたので、その救護に当つたにすぎなかつたものである。なお急停車した瞬間に後続車が一台菊地の車の右側をすれずれに追越して通過した。訴外菊地の運転していた自動車が原告に衝突したものでないから原告の本訴請求は理由がない。

二、原告の損害は不知

第一表 本間病院治療費及び附添看護婦其の他費用明細表<省略>

第二表 原告の父悟氏看護に対し必要とした費用明細表<省略>

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